リスリン牧場 別館 
                                                           欲の深道こちらは、独り言のコーナーです!

【更新:2017.7.7】

テ ー マ 
(写真またはロゴをクリックしてください)
 概            要
  2017.6.9
祖母のメンコパワーを借りて重賞初Vだ!!「第22回マーメイドS」に出走するバンゴールは、母の母が03年同レース優勝馬のローズバド。祖母が現役時代に実際に使用していたメンコをパドックで装着して、重賞初Vへ挑む。(出典:スポニチ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
あれから、14年。
優勝時の賞品”三段重ねの純金杯”は、今もことあるごとに我が家の祝事に登場する。
当時の一口クラブ馬は、優勝時の口取りには参加できない時代。
一緒の写真はないが、思い出としての記憶はしっかりと残っている。
それにしても、誰が保存してくれていたのだろう。
バドは橋口調教師(すでに引退)で関西、バンゴールは尾関調教師で関東。
しかも、孫たちはたくさんいるのに。
こう言う話は、うれしいね。
どなたか存じませんが、14年間預かってくれていた方に、「ありがとう!」とお礼を申し上げたい。

ガンバレ!バンゴール!



 
落札後の記念撮影(↑写真クリックでセリの様子が見れます


会場でいただいたグッズ類とカタログ


毎年落札者にプレゼントされるという落花生製品

2017.5.12に船橋競馬場で、「千葉サラブレッドセール」が開催され、参加してきました。
公開調教が朝8時からだったので、6時前に家を出ました。

会場へ着くと既に大勢の人が来ておられました。
セリ会場の前には、飲み物や軽食が用意され、セリ会場の雰囲気が出ていました。

公開調教を見て、想いの馬を厩舎へ見に行きました。
セリの都合上、スタッフに「この馬、何人ぐらい見学に来られましたか?」とたずねると「3人ぐらいだったかな?」という回答。
私は内心で「イケそう(笑)」と。

朝10時からセリがはじまりましたが、スタート1番から1千万円台が続き、主取りは無し。
ええっ、10番、11番・・・、と続くも不安と緊張で、逃げ出したいような気持。(笑)
私は18番狙い。少し前に400万円で落札された馬がいて、ホッ!と。
予算は500万円、いよいよ、18番の登場。

調教タイムは大したことなく、馬体は410k台の牝馬、登場直前に飛び上がり悲鳴が聞こえる。
たぶん、普通の人なら買いたくない条件が揃った。
「はい、300万円!」
セリ人の声が響く・・・、シーーーン!
「ございませんか?」・・・シーン!
そろそろかと、私が手を上げる。
「他にございませんかぁ〜」としつこくアナウンス。
「はようハンマーを叩いてくれ!」と願ってました。
やがて、運命のハンマーが叩かれ、私のコールナンバー90番が告げられる。
女性アナウンサーが空かさず、私の名前を読み上げて、セリは終了!

しかし、これはおめでたいことではない。
お祝いの言葉は、初勝利を挙げた時。
ここから、またひとつの競走馬のドラマがはじまるのだ。
馬を預かってくれる調教師と厩舎スタッフ、勝利に導いてくれるべく主戦騎手、すべてをサポートしてくれるマネージメントスタッフと会社、そして応援して下さる方々と、共にそのドラマを作っていくことになる。
この過程が、私は好きだ。

そして、今日、そのドラマは始まった。

 
 
2017.3.26
ミスターリスリン、JRA最後のレース・・・あれから10年!

  ルア(父:アグネスデジタル、母:レットイットスノー、母父:ハーツクライ)は、レックス管理馬のリスリン代表馬主馬です。
(2014年4月10日生まれの牝)
母系にスキーパラダイスがいて、祖母:アスピリンスノーは吉田千津さんの馬でした。
祖母とエアトゥーレは姉妹。
ということは、母とキャプテントゥーレとはいとこということになりますね。
「種牡馬最強データ16〜17」という本のアグネスデジタル産駒POG2016期待の2歳馬3頭の1頭に挙げられていました。
2016.9.17中山、当時リーディングジョッキーだった戸崎騎手が騎乗し2番人気に押されて新馬デビューしました。
しかし、結果は11着と惨敗。
この馬も未勝利か?と思っていたら、翌年3月26日の中京でハナさで勝ち上がってくれました。
鞍上は、前走4着へ初めての掲示板に持ってきてくれた岩田騎手でした。
ソウルフルヴォイス
エーデルワイスS優勝

2010.6.13 

共有馬ではじめての表彰台に上がったことが思い出です。

ソウルフルヴォイス(父:キングカメハメハ、母:トレアンサンブル、母父:トニービン)は、社台中央オーナーズの共有馬でした。(2007年2月3日生まれの牝)
母の母ダイナアクトレスは社台ゆかりの血統。


 
2007.8.26
リスリン牧場最初の個人馬、ミスターリスリンの動画です。

 
父:ヘクタープロテクター、母:メガラ、母父:クリスタルグリッターズという血統。(2004年5月2日生まれの牡)
今は亡き浅見国一元調教師の紹介で、現浅見調教師、当時助手だった息子さん、と親子3人と共に、北海道のオータムセールへ行きました。
そして、馬見をしていただき、3人の意見が一致したこの馬を落札しました。

浅国さんは、JRAで数々の「日本初」を実行し、日本の競馬界の近代化に貢献された偉大な調教師さんでした。
その90歳まで競馬界にご尽力された豊富な経験から導き出されたひとつの名言があります。

「ダメな馬はわかるが、結果を出せる馬かどうかは分からない」

でした。
一部の有名調教師が「オレは走る馬を見分けられる」と豪語する姿に、たいへん怒っておられました。
「そんなもん、わかるわけがない」ということでした。
レースが終わって、勝利した、という瞬間までの、さまざまな偶然と出来事を1歳時の馬を見て予測できるわけがない、ということですね。
逆に「だから競馬は面白い」ということだと思います。

そして、ミスターリスリンは、2006年7月16日 函館競馬場4R 2歳新馬芝1200m武幸四郎騎手でデビューします。
しかし、結果は6着でした。
その後、脚に「もやもや」したことを感じるようになり、常に脚に不安を抱えて、まずは地方で1勝を目指しましたが、金沢競馬場で「勝った」と思わせるような際どいレースを落とし、3歳夏の小倉戦にすべてを掛けました。
しかし、ここでも不運に見舞われ、JRA史上稀にみる「馬インフルエンザ」が流行。
馬運車で広島付近を通過中に競馬の中止が発表され、いったん戻って翌週また小倉へ移動ということになりました。
そして、小倉では、これまた追い込むも届かず2着に敗れました。
あの移動さえまともなら、と悔やまれましたが、事実上これで燃えつきました。

JRAから大井競馬場へ移籍しましたが、結局未勝利で引退となりました。
そんな悔しい思い出の2着になった小倉戦の動画です。
 
ロンシャン競馬場訪問記
写真記録
 2013年9月、私の所属する京都馬主協会の海外研修旅行として、フランスのロンシャン競馬場の視察研修が開催されましたので、参加してきました。
競馬場では、凱旋門賞へ向けて、同協会会員の前田オーナー「キズナ」が、そのトライアルレースに出走するということで、研修旅行がまるで「キズナ応援団」となったようでした。
そして、レースに勝ったあとは、パリの和食店で前田オーナーから参加者全員に好きなもの1品プレゼントがあり、ご馳走になりました。(笑)



home